イベントレポートある日の銀座十字屋
ホール主催イベント

菅原洋一 〜歌(きずな)ある限り〜

 よくベテランの芸事を褒めそやすときに、「枯れた芸風が粋で・・」などという言い回しをする。菅原の歌声を聴いていると、それが果たして褒め言葉なのか懐疑的になってしまう。歳を重ねて枯淡の表情も見えてきたことを言いたいのだろうが、仮に「枯れた」の反対言葉「瑞々しい」を当てはめたにせよ、菅原の歌唱はそのまま通るくらい、コントロールされている。齢80を超えているとは、にわかに信じ難いほど、菅原は「変わっていない」。無論、その外見までもとは言わない。白髪を豊かに湛えた風情は、大いに年輪を重ねた跡が窺われる。耳を澄ませば、TVの黎明期にブラウン管の向こうで「知りたくないの」や「今日でお別れ」を歌っていた当時の声が、そのまま生で聴ける経験というのは、どこかキツネにつままれたような気分だ。しかも、100名前後収容の十字屋ホールというインティメートな空間で、菅原洋一を独占できる贅沢というのは、至福の悦びと言えないだろうか。

菅原洋一

 寛いだムードと、親和性はどこから出るのか。ステージを観ていると、共演のピアニスト・大貫祐一郎であるとか、子息の菅原英介さんへの全幅の信頼が、深い絆として結ばれている故と思えた。歌手・菅原洋一という歌謡界屈指の歌唱力を誇る大御所を、技術・尊敬・愛情で支えているのが、この2人なのだ。また、聴いていて心地がよいのは、菅原のコミュニケーション能力が高い所以だ。どこかで聴いた曲、口ずさんだ曲。これらを独特のテンポと歌詞で歌う。聴く側は、同じ時代の空気を吸ってきた郷愁と、甘く優しい歌声とで「自分が最も輝いていたあの時代」に引き戻されてしまう。菅原はタンゴ、シャンソン、そしてプレスリーの曲までやるが、得てして洋楽の翻訳は、取って付けたような意訳・超訳が多いのだけれど、菅原の選ぶ歌詞は明確で浸透圧が高い詞が選ばれている。言葉の力を大切にしているのだと思う。この日も「マイ・ウェイ」を歌っていたが、市井のご年配がカラオケで歌うと単なる半生自慢とか自虐に聞こえてしまうところを、菅原のそれは同時代を生きてきた者への讃歌、共感へと昇華させていた。子息・英介さんとの親子デュオも誰もが知るスタンダードや唱歌ばかり。これも、「何を歌っているのか分からない」昨今の歌い手の風潮へのアンチテーゼのようだし、まるで一子相伝の口伝伝承の場に居合わせたような感慨があった。メッセージを音楽に乗せて、歌を通じて安らぎを与えようという伝え手としての矜持が、コンサートの随所に垣間見えるのである。そんな絆を感じることのできる数少ない歌謡コンサートであり、十字屋ホールではもう観ることは叶わなくなったが、開催情報を見つけたら、ぜひ参加されるようお奨めする。ハートウォームな場になることは保証する。