イベントレポートある日の銀座十字屋
ホール主催イベント

和楽の宴 〜鮮烈のトリオロジー〜

 最古の楽器のひとつと目されているハープは、弓が原初で、そこに音色を見出して発展させてきたと聞く。武器が楽器に変わったわけだ。同様に、シルクロードがユーラシア大陸を横断していた時分には、今のイランから遠い日本まで琵琶の原型が伝わっている。その土地でローカライズされ、縦琴が横置きになっていまの琴になったとか、琵琶だってマンドリンやバラライカ、そしてギターのルーツのひとつという話もある。案外、弦楽器は元を辿れば同源である可能性が高そうだ。世の中、グローバリズムなどと騒いではいるが、むしろ昔のほうが東洋と西洋に大きな分断はなく、今よりずっと大らかに文化・文明の往来があったのではないか。そんな気がする。

和楽1

 楽器の女王として育まれてきたハープは、西洋育ちで品がいい。一方、二十五弦筝や筝は、東洋の伝統的な楽器として、または日本では邦楽の象徴のひとつとして大切に伝承されてきた。いずれも重要な楽器故に、どうやら過保護に育ってきて、もっと広がる可能性の芽を自ら摘んできたのではないか・・・このコンサートを観て、そんな思いに駆られた。

 二十五弦筝の使い手・中井智弥を扇の要に、ハープの松本花奈、筝の澤村祐司が一堂に会し、「東洋だ、西洋だという障壁を一度取っ払ってシャッフルしてみるか」というプロジェクトが、今回だったのではないか。育んだ文化のマナーに沿って、それぞれの楽器は独自に発展してきたわけだが、今やインターネットを介して、我々の耳は東洋とか西洋の理(ことわり)などに惑うことなく、洪水のように耳に入る音楽の流れに接している。だがなまじ伝統に忠実であり過ぎると、残された曲は過去の遺産の焼き直しなのだから、演奏家たちが「ハープは、弾く曲が少ない」とか「琴で西洋の音楽を演ってもねえ」というボヤキに繋がることとなる。彼ら3人は、それぞれの楽器の伝統を人一倍踏まえていながらも、そういう試みも面白いと考える人々なのだろう。実際、聴いていると実に面白い。

和楽2

 「二人静」は中井のオリジナルだ。これだけで、伝統を重視する演奏家であることは一目瞭然だ。様式美に技術の投入がバランスよく行われ、これが数百年前に演奏されていたと謀られても、さもありなんと思ってしまう出来である。これが一転、「チャルダッシュ」を弾く。松本もハープで彩を添えてゆく。その出来は、余興の域は超えている。この曲、実は元はマンドリンのために作られた曲だ。ということは前出の歴史からすれば、ハープの源流まで遡ると同源の可能性がある。つまり既成概念を取り払うと、実は分別くさいのは聴き手のほうだし、違和感を覚えるのも演奏側ではなくて、聴き手の頭の中で鳴っている幻との比較なのだということが分かってしまう。片や邦楽の直球を投げ込んできた、今や一級の検校と言ってよい澤村の謡(うたい)の響きを、古いと感じるか、新鮮に感じるか。NY在住の日本が誇る女流ジャズ指揮者/ピアニストの穐吉敏子は、祝詞(のりと)をラップに見立てたジャズ作品をかつてアメリカで発表、好評を博したりしている。そう、演奏者たちは音楽に対して忠実であり、常にある種のメッセージを発信してきているわけだ。そこをどう捉えるか、その感性こそが演者を育て、自分たちの日常を豊かにしてくれる。ステージの彼らは各自の信じる音楽を無理にミックスしようとも考えない。「こんなの面白いと思いますが、いかが」というハイセンスな提案レベルを聴かせてくれる。「チャルダッシュ」とか「マイ・フェイヴァリット・シングス」などはほんの一例だ。従前期待された3人一緒の演奏も、演奏する音楽が最もよい形で聴かれることを優先すると、昨今出会ったばかりでインタープレイも練れてないし、発表会ではないのだから、これもやらない。今回の邂逅で可能性を見出して、何か新しいことをやろうとなれば、いずれ試みはするだろうが・・。表層は、バラエティに富んだ選曲が飽きさせず、楽しい試みが詰まった演奏会ながら、実は聴き手の感性を選ぶ、聴き手への宿題満載のコンサートであったと思えたのだが、皆さんはどう捉えただろうか。