イベントレポートある日の銀座十字屋
ホール主催イベント

オペラとカンツォーネの夕べ

 目から鱗が落ちる。そんな言葉がある。新春に十字屋ホールで行われた「オペラとカンツォ-ネの夕べ」は、長らく疑問だったことに見事な答えを出してくれた。サッカーだって、パスタだって、日本人は本場イタリアに肉薄してきたが、イタリアン・オペラだけは日本人の誰が歌っても、どうもしっくりこない。なぜなのだろうと。

ボルトルッツィ

 要は、ベルカント唱法に慣れていないことに加え、歴史的背景がそうさせてきたということだ。「喉に無理なく低音から高音まで、気持ちよくのびやかに歌う方法」なのだが、日本が文明開化でヨーロッパから文化・教育の手法を取り入れた際、専らイギリスとドイツを参考にした。音楽は、特にドイツだ。どちらが良い悪いではなく、結果としてドイツから音楽の理論や発声法などを多く取り入れたことで、理論や唱法に過不足が出たということなのだ。ドイツの発音とイタリアの発音法では、天と地の違いがあることで、ドイツのオペラをやるときには当然ドイツ式が有効なのだが、イタリアのオペラをやると、横隔膜をブレス時に固定的に使うドイツ式でやれば、日本人が当惑するように、声が一定に出ずブレたり、高音も出にくく、レガートで歌えない・・・ということになる。寺山修司の声でイタリアン・オペラを歌うようなものだ。横隔膜を巡り、柔軟に使うベルカントが、取り分け感情の起伏が大きいイタリアン・オペラには必須のテクニックなのだろう。

 峯川知子は、このベルカント唱法を故アントニオ・サルヴァドーリのピアノ伴奏を務める傍ら、直伝を受けた。ロベルト・ボルトルッツィは、イタリアでも珍しくなったバリトンでベルカントを駆使する若手のホープだ。いわゆる「ヴェルディアーノ」だ。イタリアでオペラの代名詞といえば、ヴェルディだ。男を象徴的に表現するため、ヴェルディはバリトン=低い声を好んで起用した。但しロマンチックな声質の品格、倍音が豊かなフレージング、他では見られないバリトンへ要求する広い音域。ヴェルディアーノと呼ばれるには、えらく高いハードルが要求される。この二人の演者は、それらをクリアしているわけだから、まさにベルカントの権化といって過言ではない。ごく自然な呼吸から、伸び上がるような高音が場内に響き、それでも嫌な威圧感がない、妙なる浮揚感をもった声を、やはりしなやかでメリハリの効いた峯川のピアノが絶妙にコーティングしてくる。こんな甘美な音圧、体験したことがない。「ほう、こりゃたまらん」。ボルトルッツィとの距離は、約1メートル45cmほど。「その昔、イタリアの貴族が体感したであろう室内楽の贅沢さ、まさにここに極まれり」である。しかも、時折カンツォーネを織り込んでくるプログラムも親しみが湧いてよい。最近の十字屋ホールにおけるコンサートのなかで最も高い8000円というお足だったが、その価値ありのコンサートだった。