イベントレポートある日の銀座十字屋
ホール主催イベント

午後のサロン 音無美紀子「がんもうつもありがとう!と言える生き方」〜のん気に生きるススメ〜

2016.2.18 午後のサロンvol.190

笑顔で登場された音無さんはえんじ色のシンプルなワンピース姿、胸の淡いグレーの造花が印象的です。柔らかな声で「和やかに参りましょう!」ふんわりとした女優オーラが漂います。最初にご自身の著作のタイトルであり今回のタイトルにもなった言葉について説明されました。

音無美紀子

結婚30年目を迎えた時にご夫婦でNHKのテレビに出演。「結婚30年目に奥様にかけてあげるのはどんな言葉ですか。」と司会者がご主人に質問しました。その時、ご主人で俳優の村井國夫さんの答えが『がんもうつもありがとう!』だったそうです。それは“それまで傲慢に生きてきたけれど妻の病気で命の大切さや、人を思いやる気持ち、何よりも謙虚にいきなければと思った”と、妻の病気に感謝する言葉でした。

「乳がんを発症したのは28年前、まだ長男が1歳の時で私の中では、癌イコール死と感じる時代でした。」と振り返ります。当時TVはワイドショー華やかなりし時代、ご自分の乳がんが格好の話題になることを恐れて、16年間も隠し通したそうです。「そのストレスは大変なものでした」と音無さん。16年後NTVの「いつ見ても波乱万丈」という番組で、ご主人が音無さんの病気のことをつい言ってしまったところ大反響。結果としてそれがターニングポイントとなり「徹子の部屋」で病気を打ち明け「妻の乳房」をご主人と共著で出版。その後医療関係機関や自治体などから多くの講演を依頼されるようになっていきます。

さすがに表現力のある女優さんです。乳がん発見のいきさつ、病気との戦い、うつと共存の日々、母として、女優としての自信喪失、しかし愛する家族の支えがやがて元気を取り戻すきっかけになり徐々に回復、5年前の東日本大震災がきっかけとなって音無美紀子の「歌声喫茶」への活動へと繋がって行く様子を時折涙を浮かべながらドラマのように聞かせていただきました。胸にどんどんと迫りくるものがありました。

印象に残ったのは、奥様に寄り添うご主人や幼いお嬢さんの言葉です。乳癌の手術の時、ご自身は温存療法を望まれたのですが、ご主人は「バッサリやってください。生きてもらわなくては困る。女優より命だ!」また、術後、抗がん剤を拒否した時もご主人に「完全に治してから子育てして欲しい。」と訴えられて抗癌剤の注射を決意したこと。しかし不運にも抗がん剤の注射が失敗して腕がひどいことに、それが“うつ”の始まりになってしまうのです。「夜は寝むれず憂欝で外出もできない。 その時は“うつ”を病気ととらえる心がありませんでした。」

お嬢さんが小学校1年生の運動会では『お弁当の時間をピクニックのようにご家族で楽しんでください』と言われたことがパニックの素に。「きれいなお弁当の本を見ても自分で作れない、お手伝いさんが作るお弁当も嫌、結局当日に夫が売っているお寿司を買ってきてくれたのに、『こんなもの持っていけない!』とギャーギャーわめく始末。その時、普段優しく接してくれていた夫がついに『何見栄張ってるんだ。何格好つけている。病気なんだから仕方ないじゃないか!私はできません助けてって言えばいいじゃないか!』と。ぐうの音も出ません。でもその言葉で閉じこもっていた心の扉が少し開いたような気がしました。」

しかし風穴があいたと言いながら皆の気遣いに答えられないご自分がいたそうです。仕事が好きな音無さんのためにマネージャーがドラマの仕事を決めてきてくれましたが、病気を隠しているため衣装合わせでつまずき、本読みではセリフが出てこない。結局仕事をドタキャンし、結果ご自身が“うつ”を確信。再び自信を喪失していきました。

「『死にたい』と口にするようになったのはその頃からでした。夫はその度毎に『子供たちのために5年生きてくれればいい』『いや3年でいいよ』『あと1年でいい』と言いました。夫の言葉に生きる力をもらいながら、勇気を出して自分をさらけだそうと術後子供たちとの入浴を避けてきたけれど一緒にお風呂に入りました。すると娘が手術跡を見ないようにしていることに気づきました。娘の気遣いに涙すると娘は『ママ泣かないで、またおっぱいはえてくるから』と。その愛おしさにお風呂の中で抱き合って泣きました。子どもってすごい!そう思ったのです。」
こうした家族の愛情が“うつ”が治るきっかけになったそうです。元気がなくなると「あそこには戻りたくない!」と強く思うそうです。

「5年前の東日本大震災は本当にショッキングな出来事でした。自分で行動しないと駄目と現地に向かいました。」そこで逆にパワーをもらったそうです。仮設住宅で「幸せなら手をたたこう」をみんなで歌って“歌の力”を感じたことが仲間達と『歌声喫茶』を始めるきっかけになりました。今年で5年被災地では41か所で開催され、現在も継続されています。
.
少しの休憩をはさんで、「がらりと雰囲気を変えて陽気に参りましょう!」と『歌声喫茶』が始まりました。配られた歌詞カードを見ながら音無さんがリードして会場の皆様と大きな声で歌いました。お嬢さんの麻友美さん(ミュージカル女優)とのデュットは楽しそうでした。『歌声喫茶』のメーンバーの一人園田さんが息のあったアコーディオンとピアノ伴奏で歌声を盛り上げました。途中しんみりとした感動的な朗読を挿入され、再び元気に合計10曲も歌ってイベントの幕は降ろされました。今回のギャラは「東日本大震災の支援活動「音無美紀子の歌声喫茶」の活動費として使わせて頂く」と伺っています。