イベントレポートある日の銀座十字屋
ホール主催イベント

唯文ロマンチズム vol.3

2015.5.17 十字屋ホール
 今まさに収穫のステージに入りつつあるのが、唯文だと言えるだろう。かつて一世風靡した音楽ジャンルに、ジャズとシャンソンがある。黄金期を築いたジャンルに共通していたことは、日本人の情念にピタリとハマったジャンルだったこと、そして残念だったのは、ある一時期に流行った音楽が永遠と続くものだと思っていたことだ。ジャズでいえば、モダン・ジャズ。シャンソンでいえば、ピアフの全盛期からせいぜいモンタンが活躍した頃まで。それぞれのジャンルの代名詞的時代、といえば聞こえはいいが、実は日本ではこれらの時代の一部だけが純粋培養された結果、ジャズの本場アメリカ、シャンソンの殿堂フランスで本物を堪能しようと勇んで行くと、その手の音楽をやっているジャズクラブは廃れ、シャンソニエなどは皆無に近い・・・そんな経験を現地でさせられることになる。日本のファンは、確かに素晴らしい音楽・芳しい時代を引き寄せたのだけれども、ガラパゴス化してしまった要因は、ローカライズが遅れたからである。ジャズやシャンソンは、オリジナルが文句なく恰好良かったせいか、日本語で歌うとか、日本の曲をジャズっぽく、あるいはシャンソンっぽく歌うことが、その隆盛の割には少なかった。さらに突っ込んだ言い方をすれば、時代に即した訳詞になっていないし、時代が要求するビートに合わせてこなかった。「パリ野郎」を歌っても、今のパリにそんなキザな不良はいないし、「マドロスさ」と突っ張ってみても、マドロスって何?と言われてしまう。もはや荒涼としてしまったシャンソンの原野に、すっと立ち上がって真っ直ぐ歩き始めた歌手が、唯文ではないだろうか。

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 長身のファッション・モデル出身。最近では歌唱が布施明のようなテイストも混じって、みるみる腕を上げてきた唯文。パリの優男たちにも引けをとらない男が登場してきたことによって、日本人男性がシャンソンを歌う際のバタ臭さとか収まりの悪さから解放されたことが、観る側にとって嬉しいことである。

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 そして、前述のローカライズを唯文は少しずつだが確実に行っている。今回歌った「桐の花」。これは、さだまさしの歌だ。唯文が最近よく歌う「防人の唄」も同様。これを「シャンソン」として歌うことは、なかなか勇気がいることだと思う。

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 シャンソンとは、自分の生き様の発露、であるならば、十字屋ホール3回目の登場になった今回は、シンプルで虚飾を剥いだセットで、じっくり内観を重ねた末の言葉を、そのままストレートにぶつける硬派なステージであったといえるだろう。大貫祐一郎のピアノ伴奏だけで、歌い手としての自分に厳しさを課しながら、ゲストで俳優の松橋登の「よだかの星」の朗読といういかにも渋い趣味をサイドトラックに持ってくる。「ロマンチズム」とは、唯文が銀座で展開する架空のシアター。今回は、シアターの支配人である唯文の心の原風景が覗きみえた、内容の濃いシャンソン・ショーとなったようだ。