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ハープの歴史 Vol.3 ~西欧のハープ~

ハープの歴史 Vol.3 ~西欧のハープ~



アルパ・ドッピアThurau Harfenmanufaktur (※2)

アルパ・ドッピア(※2)


西欧のハープの起源は現在のところはっきりとは解明されていません。

一説によれば、紀元前1100年頃に南スペインに侵入したフェニキア人が数々の楽器とともにハープをもたらしたと考えられています。西洋最古の記録としては、イギリスで発見されたアレキサンダー大王時代の壷にハープの姿が描かれています。

西洋のハープは、中世初期は歌の伴奏ではなく、主に詩の朗読の伴奏に使われていました。
ハープは特にアイルランド地方で重んじられ、13世紀の国の紋章にも、10世紀末にデンマークを征服したブライアン=ボルー王のものと思われるハープが描かれています。

中世のハープはディアトニック(全音階)でできていましたが、16世紀になり、クロマティズム(半音階)が少しずつ音楽の世界に広がり、半音階を出すことのできないハープは、徐々に敬遠されるようになりました。このことを重くみた当時の楽器製作者たちは、弦の数を増やすことを思いつき、それを徐々に改良し、「アルパ・ドッピア」という二重のハープを作ることに成功しました。片方にはディアトニックな音階を、もう片方にはクロマティックな音階を出せるというハープです。

その後、さらに改良が加えられ、第三の弦列が加えられたハープも誕生しました。これらのハープはしばらくの間用いられましたが、あまりにも弦が多すぎて、演奏が困難なのと、楽器自体も3列の弦の巨大な張力に耐えられるようには出来ていなかったという理由から徐々に衰退して行きます。

トリプルハープ1 トリプルハープ2

トリプルハープ / Thurau Harfenmanufaktur製(※2)

ナーデルマンによるハープ
ナーデルマン作のハープ
(※3)

1660年頃、チロル地方の楽器製作者たちが、ハープの弦倉(上部で弦をうける部分)にフックを並べて取り付け、これを手で動かすことによって音を半音上げる装置を作りました。こうすることで、1本の弦で異なる二つの音を出すことができるようになったのです。しかし、ひとつのフックでひとつの音しか変えられず、また、フックを動かす間は片手で演奏しなければならず、演奏家達を再びハープに振り向かせるには不十分でした。

1697年に、当時の楽器製作者ホッホブリュッカーが、ペダルの操作によってひとつの音をオクターブ同時に半音上げる仕組みを考え付きました。ハープの台の両脇に五つのペダルを取り付け、それぞれが、ド、レ、ファ、ソ、シ♭に対応していたそうです。(当時のディアトニックハープは、ファの調、つまりヘ長調に調律されていたようです。)ホッホブリュッカーは、このハープに更なる改良を加え、1790年に、音階上の七つの音全てに対応する7つのペダルを取り付けたハープを発明しました。これによりハープは、様々な調に対応することができるようになったのです。シングルハープ誕生の瞬間でした。

このハープはその後、製作者の長男ジモンによって、ウィーンの宮廷に紹介され、1749年にドイツのハーピスト、ゲープフェルトがフランスに持ち込んだのをきっかけに、さかんに用いられるようになりました。

このときから、ハープは相当にもてはやされるようになりました。フランス宮廷でハープが奏でられることが盛んになり、ハープ教師はこぞってパリを訪れたそうです。この俗物的な流行のおかげもあり、ハープは音楽家たちの興味をひきました。その後、18世紀末には、ハープのために書かれた音楽の著しい増加が見られました。かの有名なマリー・アントワネットもハープ奏者で、彼女のお抱えのハープ製作者、ナーデルマンの製作したハープは今も尚、その原型をとどめたまま博物館などに保管されています。

エラールによるハープ
エラール作のハープ
(※3)

18世紀のパリのハープ製作者たちは、このシングルアクションのハープに更なる改良を試みました。パリのハープ製作者ルーヴェとサイモンは、より大きな音量を得る為に、従来のハープより丈の高いハープの設計を試みました。また、デザイン面でも、それまで褐色の木材で作られていたハープに装飾を施そうとも考えだしました。これ以後、18世紀のフランスのハープは、金粉やガラス細工、彫刻などを施され、室内装飾の一要素にまでなったそうです。

時は経ち、マンハイム楽派の人々が近代管弦楽を興し、ロマン派音楽の改革を用意したころ、ハープは製作家たちのあらゆる発明、工夫にもかかわらず、再び衰退の一途をたどっていました。ハープの未来に危機を感じた作曲家のクルムフォルツは、当時オルガンやピアノの改良で有名になっていたセバスチャン・エラールを訪ね、ハープのメカニズムに目を向けてくれるよう頼んだそうです。彼はすぐに研究に着手し、そして、長年かけて行った、彼の挫ける事なき努力が、「ア・ドゥーブル・ムーヴマン」(ダブル・アクション)と呼ばれる最初のハープを完成させました。

この楽器は、各弦とも、三段階に音の高さを変えることができました。エラールはこのハープに満足せず、さらに研究を続け、ついに1811年、ロンドンで、多少の変化は加えられたものの、現在の型とほとんど変わらない形のハープを発表しました。このハープはたちまち成功を招きました。この年、彼はこのハープに二万五千ポンド(現在の日本円にして約400万~500万円相当)の値をつけました。1828年までには3500台のハープを作ることになりました。現在のハープのメカニック部分のしくみも、セバスチャン・エラールによって発明されたものです。その後エラールのハープは様々な楽器製作者の改良によって、現在の形になっていきます。現在ではイタリアのSALVI HARPS、アメリカのLYON&HEALY、日本の青山ハープをはじめ、様々な製作者によりハープは作られ続けています。

ミネルヴァ/サルヴィハープ
現代のハープ(ペダルハープ) MINERVA/Salvi Harps

<参考文献>
エレーヌ・シャルナセ、フランス・ヴェルニヤ、浜田 滋郎訳、「第1章 ハープ」『ハープ、リュート、ギター』、白水社(文庫クセジュ):東京、1972年、1-36頁。

<脚注>
※2 このハープを製造したドイツのメーカー、Thurau Harfenmanufaktur様のご好意により画像を提供していただきました。
※3 Museo dell’Arpa Victor Salvi 様のご好意により画像を提供していただきました。

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