ハープ人名事典 何人ご存知ですか?
これまでハープや音楽に多大な影響をもたらした、
著名人をご紹介します。

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アグネス・クレメント
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アデル・ジラード(1913-1993)
アメリカのハープ奏者、作曲者。音楽一家に育ち、最初はピアノを習ったが、14歳のときに叔父に教わったハープに魅せられすぐに習得してしまい、アリス・二クスの紹介で放送局の楽団で演奏するようになる。20歳でシカゴに出てピアニストで生計を立てるようになるが、夫になるジャズ・クラリネット奏者のジョー・マルサラと出会い、キャスパー・リアードンに次いで女性としては初めて公共の場でジャズ楽器としてハープを演奏した。ドラマーのバディ・リッチ、シェリー・マン、ギタリストのチャーリー・バード、トランペット・編曲者のニール・ヘフティなど、後のジャズ界の大立者になる音楽家と交流し、自らもトリオを結成し、ハープで自作曲「ハープ・ブギウギ」などを披露し、人気を博した。またハリウッド映画「風と共に去りぬ」の主役のスクリーンテストを受け、端役で出演したこともある。
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アニー・シャラン(1940-)
フランスのハープ奏者。9歳でパリ音楽院に入学してリリー・ラスキーヌに学び、15歳でプルミエ・プリを得て卒業。1956年からコンセール・コロンヌの首席ハープ奏者を務め、1958年からパリ・オペラ座の指揮者に就任した。1961年からロジェ・ブールダンとのデュオ活動や、ヴィオラ奏者のコレット・ルキアンを加えての三重奏など、室内楽の演奏を積極的に行った。1971年からベルサイユ音楽院の教授を務めた。
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アパリシオ・ゴンサレス(1941-)
パラグアイのアルパ奏者、ギタリスト、作曲家。「アルパの父」といわれるフェリックス・ペレス・カルドーソから連綿と続いてきた伝統アルパ奏法を受け継ぐ最後の巨匠とされ、現役のアルパ奏者の中で、最も高い評価を受けている一人である。6歳からアルパを始める。20代の頃からソリストとして、世界中へ演奏旅行した。アルパ演奏の他、ギター演奏や作曲も手がける。演奏曲目はパラグアイの民族音楽を中心に、ラテンアメリカの音楽、ボレロ、バラードなど幅広い。アルパの演奏は楽譜を用いず指の動きを師弟の間に伝承していくのが基本であるが、体得しているパラグアイ伝統曲のレパートリー数でアパリシオの右に出る者はいないと言われ、アルパの神様として尊敬を集めている。
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アミ・マヤーニ(1936-)
エルサレム・ルービン音楽舞踊アカデミー卒業後、ポール・ベン・ハイムの指導の下で作曲を学び、イータン・ルスティッヒ*との指揮を受け、イスラエル作曲家の会長を務めた。イスラエルのエルサレム・ルービン音楽院アカデミーの音楽・作曲の教授とサミュエル・ルビン・イスラエル音楽アカデミーでも教鞭を執るなど、イスラエルを代表する作曲家といえる。ヨーロッパ音楽の伝統にアラブ音楽を取り入れた、個性的な作風で知られる。ハープのソロ曲が多く、「ソナタ」、「オリエンタル風トッカータ」等がある。
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アラム・ハチャトゥリアン(1903-1978)
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アリス・コルトレーン(1937-2007)
アメリカのハープ奏者、ピアノ、オルガン奏者。デトロイト生まれ。クラシック音楽を学んだ後、ジャズ・ピアノをモダン・ジャズの巨人バド・パウエルに師事。1962年頃に夫でジャズの偉大なサックス奏者ジョン・コルトレーンと出会い、彼との共演も続けながら1966年に結婚するが、翌年には死別している。同時代に活躍した女流ジャズ・ハーピストのドロシー・アシュビ―とともにジャズ・ハープの礎を築いたが、アシュビ―と比べ、前衛音楽に傾倒していった。インパルス・レーベル他に10枚以上のアルバムを残している。彼女の次男でサックス奏者のラヴィ・コルトレーンが、アリスの死後、新進気鋭の女流ジャズ・ハーピストのブランディー・ヤンガーを発掘し、共演している。
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アリス・ジャイルス
オーストラリアのハープ奏者、教育者。13歳でシドニー音楽院において初リサイタルを行い、21歳で第8回イスラエル国際ハープ・コンテスト最優秀賞を受賞したとき、最初に国際的な注目を集めた。世界のオーケストラにゲストとして迎えられながら、オーストラリアの主要交響楽団や室内楽管弦楽団と定期的に演奏を続けている。また、教育者としてロイヤルアカデミーロンドン、クリーブランド研究所、ジュリアード音楽院、カーティス研究所、フランクフルト音楽大学などでハープを教え、現在もオーストラリア国立アカデミーで教鞭を執っている。オーストラリアを代表するハープ奏者といえる。
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アルフォンス・アッセルマン(1845-1912)
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アルベルト・ヒナステラ(1916-1983)
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アルベール・ルーセル(1869-1937)
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アレクサンドル・グラズノフ(1865-1936)
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アントニオ・ロセッティ(1750-1792)
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アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)
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アンドリュー・ローレンス=キング(1959-)
イギリスのハープ奏者、コンティヌオ奏者。教会の聖歌隊員として音楽活動を始める。ケンブリッジ大学で数学を学んだ後、ロンドン・アーリー・ミュージック・センターで声楽と通奏低音奏法の研鑽を積む。1988年の「トラジコメディア」共同主宰の後、1994年にザ・ハープ・コンソートを結成した。バロック・ハープの名手として活躍する一方、世界の檜舞台でバロック・オペラやオラトリオを指揮し、高い評価を受けている。
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アンドレ・カプレ(1878-1925)
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アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974)
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アンナ=マリア・ヴノポルスカ=ディーン(1960-)
ブルガリアのハープ奏者。アメリカに移住して、インディアナ大学で、スーザン・マクドナルドに師事。1992年にカーネギー・ホールのリサイタル・ホールでニューヨークデビューした。1992年、ブルガリアアメリカン大学の創設者の一人となった。その大学で、彼女はハープやピアノの理論及び実践の授業を受け持っていた。2008年、彼女の生徒たちは、バルカン半島で初めて、チャイコフスキーの「四季」のフルバージョンを演奏した。語り草になっている演奏の最も有名なものの1つは、2002年にジュネーヴで開催された第8回世界ハープ会議でのものである。ここで彼女は、左手の部分麻痺に苦しんでいたにも関わらず、6台のハープのアンサンブルのトップと独奏を見事に務めた。
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アンネレーン・レナエルツ
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アンリエット・ルニエ(1875-1956)
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アンリ・ビュッセール(1872-1973)
フランスの作曲家・編曲家・指揮者・音楽教師。姓はビュセール、ビュッセール、ビュッセーとも表記。1893年にローマ大賞音楽部門の覇者に。指揮者としては、ドビュッシーを支持者であり、マスネの最も近しい擁護者となった。パリ音楽院作曲科の名教師としても声望があった。101歳という長寿を全うしたので、長寿王と言う異名もある。多彩なジャンルの曲を残したが、主なハープ作品としては「演奏会用小品」「バラード」「プレリュードとダンス」「日本の旋律による即興曲」などがある。
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イオン・ジョーンズ
イギリスのハープ奏者、教育者。ウェールズで育ち6歳でハープを始める。イスラエル国際コンクールで優勝。世界25か国を演奏して回り、長らくロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックの教授を務めている。現在、世界中の国際競技会へ定期的に演奏、審査員参加を果たしており、日本における登竜門である埼玉県草加市文化協会主催の「日本ハープコンクール」への審査来日でもお馴染み。
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イゴーリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)
ロシアの作曲家。ペテルブルク・マリンスキー劇場のバス歌手の息子として生まれた。1869年にペテルブルク音楽院に入学。1902年からリムスキー=コルサコフに作曲法と管弦楽法を師事。バレエ音楽の大家であり、「火の鳥」「ペトルーシカ」「春の祭典」という三大バレエ音楽を書いている。1939年にハーバード大学での講義の依頼を受け渡米、その後はアメリカ西海岸で永住している。ハープでは、「火の鳥」の序曲、「オルフェウス」に登場するほか、最近では新鋭サーシャ・ボルダチョフがしばしば「ペトルーシカ」を、ソロもしくはデュオにおける十八番として演奏している。
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イザベル・ペラン
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イザベル・モレッティ(1964-)
フランス出身のハープ奏者。リヨンの生まれ。地元リヨンでジェルメーヌ・ロレンツィーニにハープを学び、1983年にパリ音楽院でプルミエ・プリを取得し、同年のミュンヘ国際音楽コンクールのハープ部門で2位入賞を果たした。その後、1986年のジュネーヴ国際音楽コンクールのハープ部門で3位に入賞し、1988年のイスラエル国際ハープ・コンクールで優勝を果たした。2006年にはパリのシャンゼリゼ劇場でフィリップ・エルサンのハープ協奏曲の初演で独奏を務めた。教育者としても知られ、主な弟子たちにエマニュエル・セイソン、レミー・ヴァン=ケステレン、福井麻衣などがいる。
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イナ・ズドロヴィッチ(1981-)
モルドバ生まれでアメリカのハープ奏者、教育者。1999-2001年にはブカレストのナショナル・ミュージック大学で学び、2002年、ボストン・コンサバトリーで音楽学士を継続するために移籍した。イスラエルにおける第17回国際ハープ・コンテストで優勝。2015年にアメリカ国籍を取得して以来、ボストンをベースに活躍している。ボストンの殆どの交響楽団や、故郷モルドバやブカレストなどの交響楽団への客演も多数。CDの吹き込み参加では、スティング、スティーヴン・タイラー、クリス・ボッティなどに加え、チェロ奏者のヨーヨー・マの録音にも参加している。2015年からは、ボストン・ハープ・フェスティバルを開催するなど、活動を多極化させている。
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イライアス・パリッシュ=アルバース(1808-1849)
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イルデブランド・ピツェッティ(1880-1968)
イタリアの作曲家・音楽評論家・音楽教師。イタリアのルネサンス音楽に開眼。フィレンツェ音楽院の教壇に立ち、1917~1923年まで院長に就任後、ミラノ音楽院院長に転出。成熟期に作曲された「交響曲イ調」は、「皇紀2600年奉祝曲」として日本政府より打診され、初演された後1940年12月7日に録音された。ハープ曲としては、「ハープ協奏曲変ホ長調」を残している。
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ウルスラ・ホリガー(1937-2014)
ドイツ/スイスのハープ奏者、教育者。バーゼル音楽院とブリュッセル王立音楽院でも学ぶ。トゥルニエの弟子ミレイユ・フロールに師事。またドイツのフライベルク音楽学校と故郷バーゼル音楽院で長年に渡って教鞭を執った。クラシックとバロック両方のハープを演奏、現代音楽の支持者でもあるウルスラの妙技と解釈の能力は、多くの現代作曲家に評価されている。エリオット・カーター、ハンス・ヴァルナー・ヘンツ、夫のハインツ・ホリガー、ヴィトルド・ルトスワフスキ、武満徹など多くの作曲家が彼女のために作品を書いた。シュヴァイツアー博士の信奉者で、彼の精神的な仕事を継続して行う組織の創立メンバーの一人でもあった。
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エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959)
ブラジルの作曲家。独学で作曲を勉強し、クラシックの技法にブラジル独自の音楽観を取り入れた作風で知られる。ヴィラ=ロボスは、南米のみならず、20世紀を代表する作曲家の一人であり、多作家としても知られ、その夥しい作品数は20世紀最大とも言われる。苦学・放浪しながら、パリへ留学。帰国後は、リオ・デ・ジャネイロの音楽院の院長に就任し、ブラジルの音楽水準向上に寄与した。ハープの作品としては、「ハープ協奏曲」と「ギター、フルート、オーボエ、サクソフォン、チェレスタ、ハープのための神秘的六重奏曲」などがある。
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エクトル・ベルリオーズ(1803-1869)
「幻想交響曲」でよく知られているフランスのロマン派の作曲家、指揮者である。フランスに早くからベートーヴェンを持ちこんだことでも知られ、文学から影響を受けた楽曲が多い。有名な「幻想交響曲」では、第2楽章でハープが2台起用されている。
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エドマール・カスタネーダ
コロンビア生まれのハープ、アルパ奏者。伝統音楽ムシカ・ジャネーラを学んだ後、16歳でNYに乗り込みジャズと邂逅。ラテン・ジャズのサックス奏者パキート・デリベラに認められ、一気にその実力は世界的な注目を受ける。2014年はキューバ出身の超絶ピアニストであるゴンサロ・ルバルカバとブルーノート東京で共演を果たした。楽器をエフェクターに繋ぎ、ベース・ライン、メロディー、テンション・コードを同時に演奏するという独創的テクニックは、まさに彼独自のもの。最近の活動としては、日本のジャズ・ピアニストである上原ひろみとのコラボレーションをスタートさせている。
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エドヴァルド・グリーグ(1843-1907)
ノルウェーの作曲家。ライプツィヒ音楽院にて作曲、ピアノを学ぶ。ノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目された。ピアノの小品も数多く残したため、北欧のショパンと称されることもある。全作品中では「ペールギュント」が世界中で有名であり、ハープも第2組曲で起用される。
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エマニュエル・シャブリエ(1841-1894)
フランスの作曲家。幼い頃からピアノの天才と称されていたものの、長じてからは公務員生活が長かったため、作曲活動期間は14年と短く、代表作である狂詩曲「スペイン」の作曲者としてよく知られる。ハープのパートはあるが、分散和音、ハーモ二クス、アルペジオなど、あらゆる技巧を駆使する難曲とされている。
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エマニュエル・セイソン(1984-)
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エマヌエラ・バティジェッリ(1980-)
イタリアのハープ奏者。ソリストや室内楽奏者として、イタリア、イスラエルなどを中心に活躍。その後、ダニエル・バレンボイム、サイモン・ラトルとキリル・ペトレンコなど巨匠の指揮の下、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニア・オーチェストラ、スカラ座などの最も重要な幾つかの世界のオーケストラで、ハープ奏者として活躍するようになる。現在は、2015年以来、マルコ・アンガス指揮のプロメテオ・アンサンブルとコラボレートし、現代音楽の分野にも進出している。CDではフルートと組んだニーノ・ロータによるフェリーニ映画音楽集「Amarcord…Rota」、ドビュッシーの「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」や「Tailleferre,Britten,Hosokawa」等で近代の名曲を発掘するなど、活躍の場を広げている。
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エリカ・グッドマン
カナダのハープ奏者。ジュディ・ローマンに師事。すでに10代の頃からコンサートに出演していた彼女は、トロントでイゴール・ストラヴィンスキーの指揮の元、演奏した経験もある。主にカナダはもちろん日米英を巡るコンサート演奏のみならず、スタジオ・ハーピストとして、多くのテレビ番組やコマーシャル、映画音楽などで活躍、パーシ―・フェイス、ヘンリー・マンシーニ、トニー・ベネットらとも共演を果たしている。
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エリザベス・ハイネン
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エリザベス・フォンタン・ビノシュ
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エルネスト・ショーソン(1855-1899)
フランスの作曲家。法律を学んでいたが、24歳でパリ音楽院に入り、マスネ、フランクに作曲を学ぶ。交響曲、室内楽、歌曲、歌劇など幅広い分野での作曲を手がけた。41歳のときに作曲したヴァイオリンと管弦楽のための「詩曲」が群を抜いて有名。同曲には、ハープがフィーチャーされている箇所がある。
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エレノア・ターナー
イギリスのハープ奏者、教育者。15歳でコンチェルト・デビューをロンドンで飾り、それがザ・タイムズに賞賛されて以降、ベルリン・フィルで演奏、各国の様々なハープ大会で受賞する。その後、クラシックに留まらず、ポップス、ヒップホップ、フュージョン、バレエなど多岐に亘る競演を重ね、エレクトリック・ハープの分野にも進出。現在は、バーミンガム音楽院で教鞭を執っている。Photo/IvanBarra
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オシアン・エリス(1928-)
英国ウェールズ出身のハープ奏者。10歳よりアルウェナ・ロバーツの下でハープを学ぶ。その後奨学金を得てロンドン王立音楽院でグウェンドリン・メイソンにハープを師事した。1959年よりメイソンの後任教授として1989年まで奉職した。1961年よりロンドン交響楽団の首席ハープ奏者に就任する一方でメロス・アンサンブルにも参加し、自らの名前を冠したハープ・アンサンブルも主宰した。
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オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)
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ジャック・イベール(1890-1962)
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ターロック・オキャロラン(1670-1738)
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ヴァレリー・ミロ
カナダ・ケベック州のハープ奏者。自国とアメリカのニューヨークでハープを学び、カナダ音楽コンクールを始めとする、あらゆるコンクールで優勝もしくは重賞を獲得する。2008年頃に、フランスなど海外での演奏を本格化させ、同年ヨーロッパ賞を受賞。現在、カナダを代表するハープ奏者のひとりである。
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ヴァヴァラ・イワノバ(1987-)
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ヴィクトール・サルヴィ(1920-2015)
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ヴィクトール・ハルトバヌ(1990-)
ルーマニア系ドイツ人ハープ奏者、教育者。母から最初のハープとピアノのレッスンを受け、ハインリッヒ・ベルガー音楽学校でピアノのレッスを受ける。1999年からドイツ・ライプチヒでハープを本格的に学ぶ。2010 に音楽学校「フェリックス・メンデルスゾーン-バルトホルディ」を卒業。その後、スイスのジュネーブのHEMでソリスト演奏の修士課程に入る。2012年からベルギーのブリュッセルのKCで修士課程に入る。2013からダニエル・バレンボイムの指導の下、ベルリン市立劇場のオーケストラアカデミーのメンバーになる。
現在、オーストリアで教鞭をとる。イザベル・モレッティ、ジャーメイン・ロレンツィーニ、デビッド・ワトキンス、エリザベス・フォンタン・ビノシュ、スーザン・マクドナルドらに師事した。
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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
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カトリン・フィンチ(1980-)
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カトリーヌ・ミシェル(1948-)
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カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)
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カミーユ&ケンネリー・キット
アメリカのハープ奏者、作曲家、アレンジャー、女優。美しき双子ハープ奏者として、まずインターネットから人気に火が付いた。ウィートン・カレッジでハープを学び、クラシックのハープ演奏を主体にしていたが、次第に現代の音楽:ポップス、ハードロック、ゲーム音楽、映画音楽などのハープ・アレンジと電子ハープにおける演奏に傾倒していった。ユーチューブに70以上のビデオをアップし、20万人以上のフォロワーを持ち、視聴回数も2,500万回を超えている。
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カルロス・エイメス(1901-1967)
イギリスのハープ奏者。人気のブロードキャスターであり、黎明期の公共メディアに早くから出演し、ハープとピアノを同時に弾くなど、曲芸的な技もみせたのは、ハープ奏者としての実力に裏付けがあったから。放送を通じてハープの啓蒙に寄与した。
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カルロス・サルツェード(1885-1961)
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カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ(1739-1799)
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カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1789)
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カール・ライネッケ(1824-1910)
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ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)
フランスの作曲家・指揮者。音楽一家に育ち、17歳でパリ音楽院に入学。作曲と対位法をマスネに、オルガンをフランクに師事し、19歳でローマ大賞を受賞した。印象主義的な和声感覚と平明で甘美なロマン派的作風で知られ、代表作はバレエ音楽「シダリーズと牧羊神」。ハープにまつわる曲は、「ハープと管弦楽のための小協奏曲」「愛する国への旅」「即興的奇想曲」などがある。コロンヌ管弦楽団の指揮者としては、目利きとしても知られ、「ダフネスとクロエ/ラヴェル」「火の鳥/ストラヴィンスキー」など、新しい才能ある作曲家の作品を、多く初演したことでも知られている。
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ガブリエル・フォーレ(1845-1924)
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キャスパー・リアードン(1907-1941)
アメリカのハープ奏者。カーティス音楽院でクラシック・ハープを学び、フィラデルフィア交響楽団、シンシナティ交響楽団で演奏した。その後、ジャズの世界に興味を持ち、ダンスフロアでしばし演奏し、ソロ演奏やパフォーマンスのジャズ楽器としてハープを用いた最初の演奏家と目されている。ブロードウェイ・ミュージカルや映画で演奏し、レコードも多く残した。特に、ジャズ・ミュージシャンとしてはジャック・ティーガーデンやポール・ウィットマンのアルバムに、その名が刻まれている。
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クロード・ドビュッシー(1826-1918)
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グウィネス・ウェンティンク
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グザヴィエ・ドゥ・メストレ(1973-)
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グスタフ・マーラー(1860-1911)
オーストリアのウィーンで活躍した作曲家・指揮者である。交響曲と歌曲の、近代における巨人として知られる。マーラーの交響楽の中に、ハープが登場する場面が、2曲ある。「交響楽第1番」と「交響楽第5番第4楽章」である。
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グスターヴ・ホルスト(1874-1934)
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ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)
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サーシャ・ボルダチョフ(1990-)
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シャルル・グノー(1818-1893)
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シヴァン・メイゲン(1980-)
イスラエルのハープ奏者、教育者。エルサレムで育ち、家族がフランスへ引っ越し、パリでイザベル・モレッティに師事。2006年のイスラエル国際ハープ・コンテストで優勝した。その後、ナンシー・アレンにニューヨークのジュリアード音楽院で学んだ。イスラエル室内楽プロジェクトや室内アンサンブル「TreVoci」を結成するなど、ソロ演奏のみならず世界各地で演奏旅行を行っている。また、ブルックリン・カレッジで教鞭をとり、2017年シーズンでフィンランド放送交響楽団の主席ハープ奏者に就任。レコーディングも積極的に行っている。
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ジェニファー・スウォーツ
カナダのハープ奏者、教育者。カーティス音楽院に学び、ジュディ・ローマンに師事。モントリオール交響楽団の首席ハープ奏者としてのみならず、カナダと世界各地で演奏、ATMAクラシック・レーベルに、多くの録音を残している。1994年以来、オーケストラ・シンフォニー・デ・モントリオの校長ハープ教授を務めていた。現在は、マッギル大学で教鞭を執っている。
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ジェルメーヌ・タイユフェール(1892-1973)
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ジャン・シベリウス(1865-1957)
フィンランドの作曲家。ヘルシンキ音楽院で学ぶ。青年期にヴァイオリニストを志望し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のオーディションも受けたこともあるが、後に作曲に専念する。1899年に、「愛国記念劇」の音楽を発表。この曲の7曲目が改作されて交響詩「フィンランディア」作品26として独立し、自身の代名詞となり、国民的作曲家となった。ハープが登場するのは、「トゥネラの白鳥」「カトレア組曲」「交響曲第六番」である。
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ジャン=バティスト・カルドン(1760-1802)
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ジャン=バティスト・クルムフォルツ(1742-1790)
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ジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)
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ジャン=ミシェル・ダマーズ(1928-2013)
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ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)
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ジュディ・ローマン(1936-)
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ジョアンナ・ニューサム(1982-)
アメリカ・ネバダ出身のハープ奏者及びシンガーソングライター。5歳のときハープを学びたいと両親に懇願し、了承されたが、小さすぎたジョアンナに講師がハープを教えたがらず、まずはピアノから始めてみてはどうかと諭され、渋々ピアノのレッスンから始める。しばらくした後、ようやくハープのレッスンを受けられるようになり、10代の頃はハープの演奏に夢中になった。そうした背景から、ハープ、ピアノ、ハープシコードを駆使したフォーク/実験的音楽で、3作目「ハヴ・ワン・オン・ミー」をリリース。ビルボードのデジタル・アルバム・チャートで16位にまで上り詰めた。2014年からは、女優としてホアキン・フェニックス、ベニチオ・デル・トロといったハリウッド・スターとの共演も果たしている。
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ジョエル・フォン=ラーバー(1991-)
6歳からスイスでハープを学び、ベルン音楽院を経て、マリア・グラーフに師事、その後グザヴィエ・ドゥ・メストレ、イザベル・モレッティにも学び、オーケストラでの演奏も経て、イスラエル国際ハープコンクールで準優勝を飾る。「ポスト・メストレ」としてアレクサンダー・ボルダチョフ、エマニュエル・セイソン、レミー・ヴァン=ケステレンの三羽烏に次ぐ“第四の男”として存在感を増している。
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ジョン・トーマス(1826-1913)
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スザンナ・ミルドニアン(1940-2022)
イタリアのハープ奏者、教育者。イタリア・ベニスのベネディット・マルセロ音楽院を経て、パリ音楽院でピエール・ジャメと学ぶ。1959年に、イスラエル初の国際ハープ・コンクールで第1位。1964年にジュネーヴ国際音楽コンクールで第1位。パリのグランプリ・デュスクも受賞した。晩年は、ブリュッセル王立音楽院で教鞭を執っていた。
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スーザン・マクドナルド(1935-)
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セザール・フランク(1882-1890)
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セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)
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セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)
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ソフィア・キプルスカヤ(1991-)
1991年ロシア生まれ。5歳でハープを学び、サンクトペテルブルクのリムスキー・コルサコフ音楽院にてアンナ・マカロヴァに師事する。プラハ音楽院やブリュッセル王立音楽院でハープ界の女王とも呼ばれるヤナ・ボシュコヴァのもとでも研鑽を積む。若くして数々の国際コンクールに優勝・入賞を繰り返し、2005年リリー・ラスキーヌ国際準優勝、07年ドイツ・フランツ・ヨセフ・レイニル財団コンクール優勝並びに審査委員長賞など、数々の栄誉に輝くが、09年サンクトペテルブルク・ゴールデン・ハープ国際コンクールでの優勝で、サンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場音楽監督ヴァレリー・ゲルギエフの目に留まり、11年に同歌劇場管弦楽団の首席ハーピストに抜擢される。次代の女性ハーピストのホープと目されている。日本における初リサイタルも予定されている。
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ダニエル・バートン(1944~ )
1944年にシカゴで生まれ、メンフィス大学で音楽の学士・修士号を得た後、 ハーディング大学で音楽のインストラクターを、西アリゾナ大学で音楽教授を務めた後、カリフォルニアを拠点に定める。1973年から2003年にかけて、4000人の会員を擁する第一ユナイテッドメソジスト教会のオルガニスト/作曲家を務める。オルガン、ピアノ、ハープシコード、ハープ、チェロを演奏、伝統音楽に裏打ちされた新鮮なハーモニーとメロディー、そして繊細な解釈で、多くのハープ・アレンジや譜面を残している。
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チャールズ・オーバーテュール(1819-1895)
ドイツ・ミュンヘン生まれ。1844年にイギリスに渡って、ハーピストおよび教師として活躍。本来は、カールという名前だが、イギリスに帰化したことを機に、名前をチャールズに改め、ロンドンで亡くなった。ハープの独奏曲に「シルフ空気の精」がある。この曲は当時、イタリアの舞踏家マリア・タリオーニ1830-1891が振り付けをして踊り、評判を呼んだ。
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チューチョ・デ・メヒコ(1933-)
メキシコのアルパ奏者、歌手。兄のホセとデュオを組み、その美声を活かした歌声で人気を博す。兄弟に友人のレオナルドが加わり、1952年のトリオ・デルフィネスを結成。メキメキシコでこのトリオが大ヒットして、今もメキシコのどこかのラジオ局が彼らの曲を流しているほどだという。その後南米各地、アメリカケネディ、ジョンソン大統領の住んだ当時のホワイトハウス、ヨーロッパ、ロシアでも演奏旅行で回った。しかし、兄の病でトリオを解散せざるを得なくなり、チューチョはソロで来日、以降18年もの間ホテルニューオータニでレギュラー演奏した。アカデミア・デ・チューチョを、1993年に発足。多くのアルパ奏者を輩出した。
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デイヴィッド・ワトキンス(1938-)
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ドロシー・アシュビ―(1930-1986)
アメリカのジャズ・ハープ奏者、作曲家。デトロイトに生まれ育ち、最初はクラシックのピアノを習得したが、1952年頃からハープを主楽器と定める。彼女がジャズ・ハープの偉大な先駆者とされるのは、そもそもジャズには不向きではないかとされたハープを持ちこみ、さらに彼女が最も活躍した1950-1960年代は黒人の社会的地位は低く、しかも極めて男性的社会であったジャズ・シーンに女性として斬りこんだという、困難に挑んだからだ。そして、1970年代に入っても意欲は止まず、ついに日本の琴を用いた「ザ・ルバイヤット・オブ・ドロシー・アシュビ―」というアルバムも出す。晩年は、西海岸へ移住してスティービー・ワンダーのアルバムにも参加した。生涯で10枚以上のリーダー・アルバムを残している。
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ナンシー・アレン(1954-)
アメリカのハープ奏者、教育者。ジュリアード音楽院に学ぶ。1973年には、世界で最も有名な国際ハープ・コンクールの1つであるイスラエルの第5回国際ハープ・コンクールで優勝。パール・チェルトック、リリー・ランスキー、マルセル・グランジャニー、スーザン・マクドナルドらに師事した。1999年以来、彼女は音楽監督で指揮者のローリン・マゼールの下、ニューヨーク・フィルのハーピストとして活躍。また20年近い教育実績もあり、母校のジュリアード、エール大学などで教鞭を執ってきた。多くの録音、コンサートも行っており、グラミー賞にもノミネート経験がある。
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ニカノール・サバレタ(1907-1993)
スペイン出身のハープ奏者。マドリード音楽院のビンセンタ・トルモ・デ・カルボと、ルイーサ・メナルゲスに師事。1925年にパリに留学、マルセル・トゥルニエとジャクリーヌ・ボに師事、翌1926年、同地で初めての公式演奏会デビューを果たす。その後アメリカを訪れ、1934年には北米デビューを果たす。1950年にプエルトリコの演奏旅行で出会った女性と1952年に結婚、スペインに居を定め、サバレタは欧州各地に演奏旅行に出かけた。1959年から1962年までシエナのキジアーナ音楽院でハープの教鞭も執った。サバレタに作品を献呈した作曲家として、ヒナステラ、ミヨー、ヴィラ=ロボス、ロドリーゴといった錚々たる作曲家が名を連ね、それらを合せたサバレタの録音は、300万枚のレコード売り上げに匹敵すると云われている。
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ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1884-1908)
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ニコラス・フラジェロ(1928-1994)
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ニコラ=シャルル・ボクサ(1789-1856)
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ニーノ・ロータ(1991-1979)
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ハーポ・マルクス(1888-1964)
アメリカのヴォードヴィリアン、マルクス兄弟の四男、ハープ奏者。トーキー以降のアメリカ映画界で、コメディに関しては、ナンセンスかつシュールな笑いでマルクス兄弟が席巻していた。ハーポは、映画で決してしゃべらない唖役を通し、動きや小道具で笑わせた。またハープ奏者としても有名で、ほとんどの映画でハープを演奏するシーンが挿入されており、その超絶技巧は間違いなくプロ顔負けで、ハープの啓蒙・伝播に一役買った。晩年に「ハープ・バイ・ハーポ」「ハーポ・イン・ワイファイ」、「ハーポ・アット・ワーク」といったレコードも出している。
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パウル・ヒンデミット(1895-1963)
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パール・チャートク(1918-1981)
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ヒューゴ・ブランコ(1940-2015)
ベネズエラの代表的アルパ奏者、作曲家、プロデューサー。ウーゴ・ブランコとも表記。叔父ホセ・マンソ・ペローニが作詞・作曲した「モリエンド・カフェコーヒー・ルンバ」や「ベツレヘムのブリトー」など、故国の音楽を世界中で大ヒットさせたことで知られる。世界的に知られた「コーヒー・ルンバ」が、実は日本だけの通り名であるのは、オリジナル曲はリズム形式がそもそもルンバではなく、ブランコが生んだオルキデアというリズム形式であり、邦題が正されないまま今日に至っているからである。
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ピエトロ・マスカーニ(1863-1945)
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ピエリック・ウーディ(1929-)
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ピエルネ・ガブリエル(1863-1937)
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ピエール・ジャメ(1893-1991)
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ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)
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ファビウス・コンスタブル(1973-)
イタリアのハープ奏者、作曲家。ケルティックハープ・オーケストラの創立者。4歳のとき、ミラノ・アカデミー「G.Verdi」にてピアノ演奏を学び始め、ミラノ音楽院を卒業する。アイルランド、ブルターニュにてハープ奏者のミルドフィン、エウロン、その他多くのハープ奏者に師事。2016年時点までに、ヨーロッパ・アジア各国での公演数は500回を超えた。2002年オーケストラケルティックハープ・オーケストラを創設、アルバム「TheMist」は12万枚を超えるセールスを記録した。また慈善家としても知られ、2011年の東日本大震災直後に単身来日、東北の被災地、避難所で23のコンサートを開催、欧米の音楽家で最初に被災地に入ったのも彼であり、叙勲経験も多い。
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フィア・ベルクハウト(1909-1993)
オランダのハープ奏者。ロッテルダムで生まれ、ハーグの王立音楽院でローザ・スピアに師事し、その後アーヘンのオーケストラにハープ奏者として入団した後、1933年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に第2奏者師・スピアが第1奏者として加わった。1945年からは第1奏者に昇格、1961年に退団するまで務めた。1961年からはエドゥアルト・ファン・ベイヌム財団を設立して理事を務め、国際ハープ週間を年に1回開催して、ハープ音楽の新作を委嘱する活動を展開し、オランダにおけるハープ啓蒙に一役買った。
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フェリックス・ゴドフロア(1818-1897)
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フェリックス・ペレス・カルドーソ(1908-1952)
パラグアイのアルパ奏者、作曲家。17世紀にヨーロッパからアメリカ新大陸に伝わったとされるアルパの楽器構造や演奏技術を著しく高め、パラグアイ音楽の伝承曲をまとめただけでなく、自身も数々のアルパの曲を作曲した。アルパを中南米だけでなく、世界的に認められる芸術の域にまで完成させた功績から「アルパの父」と呼ばれている。代表曲に「鐘つき鳥」がある。
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フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
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フランソワ・ナーデルマン(1773-1835)
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フランソワ=アドリアン・ボワエルデュー(1775-1834)
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ブノワ・ジョゼフ・ポレ(1753-1823)
フランスのハープ奏者、作曲家。ポレはベテューヌに生まれた。ヤン・クシチテル・クルンプホルツに学び、パリに没した。娘のマリー=ニコル・シモナン1787-1864は、皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネのハープ奏者となり、孫息子のジョゼフ・ポレは1831年から1871年までパリのノートルダム大聖堂でオルガニストと合唱指揮者を務めた。代表作はデニーズ・メジュヴァン編の「ペダルのないハープのためのソナタ第2番」だが、このソナタは変ホ長調で書かれているが、臨時記号が一つもなく、エラールよって改良が行われる以前の古典的ハープの技術的限界が反映されていると云われている。
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ブランディー・ヤンガー
アメリカ・NY生まれのジャズ・ハープ奏者。1960年代にドロシー・アシュビ―、アリス・コルトレーンといった女流ジャズ・ハープ奏者が活躍したあと、久しく絶えていた系譜を復活させた。クラシック・ハープを学びながら、同時にヒップホップやR&Bを聴いて育った。コネティカットで教育を受けた後、専らニューヨークのジャズ・シーンを本拠に活躍してきた。亡くなったアリス・コルトレーンの追悼コンサートで、子息ラヴィ・コルトレーンから、母のためにハープを弾いてくれと依頼があり、それを機にNYジャズのメイン・シーンへ躍り出た。ソロ・デビュー・アルバム「Wax&Wane」を引っ提げて、日本でもブルーノート東京でライブ・デビューを果たしている。
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ヘスース・グリーディ(1886-1961)
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ヘルガ・シュトルク(1940-)
ドイツのハープ奏者、教育者。カトヴィツェやエッセンのフォルクヴァング音楽院でハープを学んだあと、米ジュリアード音楽院でマルセル・グランジャニーに師事。その後、ケルン放送交響楽団、ハンブルク国立歌劇場、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団等の首席ハープ奏者として活躍。1971年からケルン音楽院、1983年からミュンヘン音楽・演劇大学で教鞭を執り、2004年からはカトヴィツェ音楽院の客員教授を務めている。また、ザルツブルク・モーツァルテウム大学でも後進の指導に当たっている。
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ベアトリス・ギルマン
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ベドルジハ・スメタナ(1824-1884)
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ベラ・デュロワ(1909-2000)
ロシアのハープ奏者、教育者。祖母が後にモスクワ音楽院を設立したニコライ・ルビンスタインと共にピアノを学んだ友であり、あのチャイコフスキーの弟子であったという音楽一家に生まれ、最初はピアノとチェロを学ぶも、ハープに切り替え11歳からモスクワ音楽院で学び、12歳でコンサートを開催した。唯一ドイツ・ベルリンでマックス・サール教授に学んで帰国、以降はボリショイ劇場が主な活動のベースとなる。その頃の仲間に、ディミトリ・ショスタコーヴィッチがいる。60年代からソ連全土や海外を楽旅し、母校モスクワ音楽院で多くの弟子たちを育てた。彼女のレパートリーは300曲以上に及び、1973年に「ハープの芸術」という著書も残している。1966年に人民芸術家となり、1973年にはソ連邦国家賞を受賞。名実ともに、ロシアを代表するハープ奏者だった。
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ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)
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ベーラ・バルトーク(1881-1945)
ハンガリー生まれのアメリカの作曲家。ブタペスト音楽院に入学し、ピアノと作曲を学んだ。交響詩「コシュート」で、ハンガリーの独立運動を起こした英雄としての名声を確立。最も有名なのは1943年作の「管弦楽のための協奏曲」と、6曲から成る「弦楽四重奏曲」。その後、ファシズムに毒された故国を離れ、アメリカに亡命。ニューヨークのコロンビア大学で教鞭を執っていたが、1945年に白血病で他界した。ハープが登場する楽曲としては、2台のハープを使用する「オーケストラのための協奏曲」がある。
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ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)
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ポール・デュカス(1865-1935)
フランスの作曲家。パリ音楽院で学び、管弦楽曲「序曲ポリュクト」で注目される。ドビュッシーと親交を持ち、母校で教鞭を執り、1934年にはフランス学士院会員に選出される。ハープの起用は、代表作「魔法使いの弟子」の中間部分でフィーチャーされている。
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マックス・ブルッフ(1838-1920)
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マリア・クルシェフスカヤ(1984-)
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マリア・グラーフ
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マリア・ルイサ・ラヤンーファレロ
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マリオ・ハープ・ロレンツィ(1894-1967)
イタリア・フィレンツェ生まれのハープ奏者。1930年代に大人気を博した。地元でロイヤル・アカデミーの名誉会員となったが、一家でイギリス・ロンドンに移住。終生イギリスに住んだ。クラシックから当時人気であったラグタイム・ジャズを取り入れた自由で技巧的な奏法で、ハーピストとして最も早くからメディアへ登場したことから、ヨーロッパ各地からお声がかかり楽旅を繰り返した。ハープの王様の異名をとったが、1957年には関節炎がもとで引退している。
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マリサ・ロブレス(1937-)
スペイン出身のハープ奏者。ルイーサ・メナルゲスに師事兄弟子にニカノール・サバレタがいる。マドリード音楽院に進み、1953年に16歳で音楽院を卒業。17歳でフルート奏者のジャン=ピエール・ランパルと共演して、演奏会デビューを果たす。この時に演奏したモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」は、それ以来ロブレスの十八番として名高く、ほかにもジェームズ・ゴールウェイや夫のクリストファー・ハイド=スミスらとこの作品を共演し、もしくは録音してきた。1958年に結婚し、1960年からイギリスに永住して演奏活動を続けており、1971年には英国王立音楽院の教授に迎えられている。
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マリー・ピエール・ラングラメ(1967-)
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マルギット=アナ・シュース
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マルセル・グランジャニー(1891-1975)
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マルセル・トゥルニエ(1879-1951)
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ミハイル・グリンカ(1804-1857)
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ミルドレッド・ディリング(1895-1983)
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モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)
ロシアの作曲家で、「ロシア五人組」の一人。ロシアの史実や現実生活を題材とした歌劇や諷刺歌曲を多く書いた。国民楽派の作曲家に分類され、歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」やピアノ組曲「展覧会の絵」などが代表作とされる。そして、馴染み深い管弦楽曲「禿山の一夜」でハープが起用されている。
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モーリス・ラヴェル(1875-1937)
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ヤナ・ボウシュコヴァ
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ヤン・ラディスラフ・ドゥシェック(1760-1812)
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ヨセフ・モルナール(1929-2018)
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ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
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ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)
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ヨランダ・コンドナシス(1963-)
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吉野 直子(1967-)
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洋子・チェスキーナ・永江(1932-2015)
日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、音楽界のパトロンとして活動するようになる。著書に「ヴェネツィア私のシンデレラ物語」がある。
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ラヴィニア・メイヤー(1983-)
オランダのハープ奏者。韓国に生まれるが、早くからオランダ人夫婦へ養子に出され、ハープもユトレヒト音楽院、アムステルダム音楽院で学んだ。ヤナ・ボウシュコヴァ、イザベル・モレッティ、スーザン・マクドナルドらに学び、国際ハープ・コンクールのなかで数度ベスト3入りを果たしている。2009年にオランダのクラシック音楽家の最高位を示すオランダ音楽賞を受賞。オランダの音楽シーンを象徴するように、現代クラシック、ポップス、ジャズなどが並列・越境する環境のなかで、フィリップ・グラスや武満徹らの楽曲を演奏するなど、活躍の場を広げている。
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リティツィア・ベルモンド(1981-)
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リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)
ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家のひとり。ポルカのシュトラウス家は血縁ではない。交響詩とオペラの作曲で知られ、また、名指揮者としても活躍した。指揮者の弟子に、カール・ベームがいる。交響詩「ドン・ファン」、「ツァラトゥストラはかく語りき」オペラ「サロメ」等で知られる。だが、シュトラウスがナチスの帝国音楽院総裁の地位にいたこと、ナチ当局の要請に応じて音楽活動を行った事実から、シュトラウスを親ナチスの作曲家として非難する向きもあったが、戦争後の裁判で無罪となっている。ハープが起用されている曲は3つあるが、どれも技巧を必要とする超難曲揃いと云われている。交響詩「ドン・ファン」、「ツァラトゥストラはかく語りき」そして、交響詩「死と変容」である。
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リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)
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リリー・ラスキーヌ(1893-1988)
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ルイ・シュポア(1784-1859)
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ルシール・ローレンス(1907-2004)
アメリカのハープ奏者、教育者。ボストンで高名だった叔母からハープを習い、独習を重ね、18歳でプロ・デビュー。帰国後、かねてから折に触れ師事してきたカルロス・サルツェードと結婚。サルツェード・ハープ・アンサンブルや自身のローレンス・ハープ・クインテット、またはソロでアメリカ各地を演奏するとともに、夫サルツェードの技術をベースにした「サルツェード・メソッド」を、直接指導・出版などで伝播することに腐心した。二人は1936年に離婚してしまったが、夫婦の活動は20世紀で最も広範に伝播したハープ指導法のひとつとなった。また、初代アメリカ・ハープ協会の代表も務めた。
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レインゴリト・グリエール(1875-1956)
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レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)
チェコの作曲家。民族音楽研究から生み出された、発話旋律または旋律曲線と呼ばれる旋律を着想の材料とし、オペラをはじめ管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲に多くの作品を残した。ハープでは、変拍子の多い「シンフォニエッタ」で起用されている。
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レオ・ドリーブ(1836-1891)
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レット・バーンウェル
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レナード・バーンスタイン(1918-1990)
アメリカの作曲家、指揮者、ピアニスト。アメリカが生んだ最初の国際的な指揮者であり、カラヤンやショルティらと並んで、20世紀後半のクラシック界をリードした。「ウェスト・サイド物語」「キャンディード」といったミュージカルにおいて不滅の評価を得ている。ハープは、「キャンディード」の中で使用されており、快速テンポの中に素早いグリッサンドが入る。写真=ソニー・クラシカル
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レミー・ヴァン=ケステレン(1989-)
オランダ生まれのハープ奏者。イザベル・モレッティに師事。最も権威あるUSA国際ハープ・コンクール、2013年の優勝者である。ドイツの名門レーベル「グラモフォン」と契約し、話題を呼んだ。クラシックのグランド・ハープのみならず、早くからサルヴィ・レインボーやデルタといったエレクトリック・ハープも演奏し、バンドも組んでジャンルを超えた活動を展開している。次世代男性ハーピストとしては、サーシャ・ボルダチョフと並んで双璧と目されている。日本デビューは、銀座十字屋140周年記念公演・霜月音楽会で果たしている。
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ロバート・マックスウェル(1921-2012)
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ロリーナ・マッケニット(1957-)
カナダ出身のシンガーソングライター、ケルティック・ハープ奏者。ケルト音楽を中心に、アジア、アフリカ、スペイン等様々な地域の民族音楽を持ち込んだ音楽を指向している。1991年のワーナー・ブラザーズと契約以来、コンスタントにヒット・アルバムを制作し、アルバム「ザ・ブック・オブ・シークレッツ」でビルボード17位を記録、収録された曲「マルコ・ポーロ」は、日本の愛・地球博にも使用された。2010年のバンクーバー五輪開催式も出演し、流行したケルト音楽のアイコンとなった。