1820年にボクサに師事するため、ロンドンへ移住。8年にわたる勉強を終え、フィレンツェで歌や作曲を学んだ。1830年代前半は、ドイツ・北欧・ロシアへ楽旅に明け暮れ、大衆音楽を吸収し、1934年からウィーン宮廷歌劇場のソロ・ハーピストに就任。1840年代には再びコンサートを開くようになり、その演奏に触れた作曲家ベルリオーズは驚嘆し、彼を「ハープ界のリスト」と讃えた。「序奏、カデンツァとロンド」「マンドリン」「セレナード」など百曲以上に及ぶといわれるハープソロ曲のほか、「ハープ協奏曲ト短調」、「小協奏曲」「二台のハープのための小協奏曲」なども残した。