ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国のブラウンシュヴァイクに生まれ、幼少期よりヴァイオリン演奏の才能を示す。15歳でブランシュヴァイク公の宮廷楽団に参入し、1804年にライプツィヒにおける演奏会で、作曲家としてもドイツ語圏の楽壇で有名になる。1805年~1812年までゴータの宮廷楽長に就任。同地で18歳のハープ奏者ドレッテ・シャイトラーと結婚。ヴァイオリンとハープの二重奏を組み、1816年から1817年までイタリア、1820年にイングランド、1821年にパリで演奏旅行を行なった。ハープ独奏曲として「幻想曲」「『私はまだ青春時代よ』による変奏曲」の2曲。ヴァイオリンとハープのための「ソナタ」6曲、2つの「幻想曲」、2つの「変奏曲」。「ヴァイオリン、チェロとハープのための三重奏曲」。2つの「ヴァイオリン、ハープと管弦楽のための協奏曲」を残した。